仏まで

 

東京に行った同級生たちが揃いも揃って位置情報を“渋谷”や“新宿”にしてストーリーを更新してるのを見る度に呆れた表情になる。応募したバイト先からは連絡が来ないし、働く身にもなってくれよ、レスポンスの遅い人間はどんな会社でも重宝されないだろ、とまで考えて、結果自分に呆れる。結局近所のレンタルビデオショップでバイトするのが一番の得策のような気がして心が軽くなった。夫が作ってくれたパスタを昼食に食べて、大好きな女の子からの郵便に大喜びして、あっという間に土曜の夕方。

 

 

 

自分にとっての成功って何だろう、と考えた。抑うつになって仕事を辞めて3ヶ月が経った。もう正社員で働きたいとは到底思えず、むしろなんで正社員じゃなきゃ駄目なんだ?と考える。

 

生きていくしかなかったから、就職した。私は同じ歳の子たちより転職回数もフリーター時期も多い。結婚して、扶養の範囲内で働いていいと言ってくれる夫がいて、ふと冷静になれば、ここが自分にとっていちばん居心地がいいのではないかと思う。

 

結局は誰かと自分を比べていた。地元の短大を出てちゃんと先生をやってる同級生を見ると尊敬の念が絶えない。考えて転職して仕事が続いてる友人もそう。

 

何でも出来ると思っていた。何もなかったけど。

 

色々なことに諦めがついて、哀しくなると思ったのに、今はひどく安心している。ここ最近ずっと仏教本を読んでいて、腑に落ちることばかりで、それも安心する。自分なんてものはそもそもなくて、このからだは借り物なんだって。ただ生まれただけだから、生きる理由もほんとの自分もいらないんだって。それを知った瞬間、安心して、子どもみたいにわんわん泣いた。

 

 

 

 

四半世紀を終えて

 

 隣で寝息を立てている夫の気配だけでひどく安心する。周期が久しぶりに来て半日以上眠っていたんじゃないか、それでも睡魔は襲ってくる。素知らぬ顔で肌に溶けていく夜。今の記録を残しておく。

 

 あんなにしにたがりだった私が、25歳になってから、ぱったりとしにたくなくなった。地に足がつく、って、多分こういうことなのだろうなと思う。だって、そう感じるから。何が起きたって、頭が微塵も混乱することがない。心が揺さぶられることがない。琴線に触れて号泣を頻発していた以前の私は、どこに行っちゃったんだろうね。

 

 でも私は、今の自分をすごく気に入っている。

 

 気になった映画を片っ端から見たり、甘いものを手で食べたり、夫にちょっと優しくしたり。着飾ることが大好きだけど、パジャマと部屋着の区別を無くせばもっと身軽でいられるような気もする。朝起きて着替えて軽くお化粧すれば、その日一日、なんとなくちゃんと出来たように感じる。この状態に成った、のか、帰ったのか、正直よく分からない。どっちも言えてる。とにかく、今の私は、今の私がすごく好きだ。